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笑福亭枝鶴 (3代目) : ウィキペディア日本語版 | 笑福亭枝鶴 (3代目)[3だいめ しょうふくてい しかく]
3代目 笑福亭 枝鶴(3だいめ しょうふくてい しかく、1894年 - 1946年5月13日)は、上方噺家。本名: 山中瀧之助。享年52。 ==来歴・人物== 元は天狗連出身。初め桂文人(3代目桂文枝門下)の弟子となり文輔を名乗る。師の没後、1914年頃に初代桂花丸(後の初代桂花團治)門下で花三郎となり、1915年頃に師の花團治への改名を機に2代目花丸となる。活動は端席や旅興行が多く寄席にはほとんど出ていたなかった。人柄が腕が優れたことなどの理由で7代目翁家さん馬(8代目桂文治)に可愛がら一時1917年頃にさん馬の門下になり翁家さん勝、1927年頃に旅興行の際、花丸という芸名が天狗連の名前のようだということで、旅先だけのつもりで桂花柳を名乗るが、そのまま名乗り続けることとなる。一時期漫才の人気に押され低迷していた上方落語界で初代桂春輔とのコンビで軽口を披露していた時期もあるが1943年12月に3代目笑福亭枝鶴を襲名。5代目笑福亭松鶴の「楽語荘」同人となり、2代目桂米之助(後の4代目桂米團治)と共に、将来を嘱望された。 細かく技巧的な芸風で、器用だが線が細く、こじんまりとした小さな寄席向きだとも評された。十八番は『立ち切れ線香』、『三枚起請』、4代目桂米團治の作の『代書』を好んで演じていた。新作も物にし、『上方はなし』第46集には、4代目桂米團治の『代書』と共に、花柳の『豆炭』が掲載されている。また声色も得意とした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笑福亭枝鶴 (3代目)」の詳細全文を読む
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